Google Reader がなくなるのは実はよいことかもしれない | Lifehacking.jp
最も多い「RSSは死んだ」議論の勘違いは、データ連携「プロトコル」であるRSS(Atom含むfeed)と、feed集約/閲覧ツールであるfeed reader(Google Reader含む)という「I/F」を混同して話している点です。
Google Readerの比較対象としているtwitterやfacebookやgoogle+でさえ、誰かの投稿を別の誰かのタイムラインやストリームに表示するためには裏方でデータ連携して送受信する必要があります。
そういう意味で、RSSよりも良いデータ連携方法があるならRSSは要りません。
しかし逆にプロトコルがRSSで有ってもリアルタイムでソーシャル化出来るI/Fを誰かが作れば、それはI/Fの水平比較であって、その文脈でRSSの存在意義を語るのは的はずれです。
つまりfeed readerという閉じた個人用データ集約ツール(というI/F)が今後存続すべきかどうか、という点で語るべきです。
個人的な感想で言えば、他人の意見(=バイアス)が付加されていない1次情報の集約を重要と思う人は必ず居ます。
しかし現在twitterやfacebookユーザの大多数であるレイトマジョリティな層(テレビの試聴などが長い層)は、他人によって価値付けのされてない生のデータ(≠情報)を欲しがらない傾向にあるので、多数決を取ったら要らないとする意見(使いこなせないので存在意義が理解できない)が多数を占めると思います。
少数の、1次情報を欲しがる層=それに自分なりの意見を付加して2次発信する層というのは、適当に薦められた広告などクリックしないでしょうから、Googleにとってはマネタイズしにくい層かもしれません。
課金ツールとして存続する手もあるでしょうが、そういった個別の少数派層に自らがサービスを提供するのはGoogleの事業のメインストリームではないと思うので、そういった点でGoogle Readerは現在の「Google向き」のサービスでは無いのかもしれません。
そういった少数派層を狙い撃ちする個別のサービスは、それを提供するための汎用的なプラットフォーム、たとえGoogle App Engineなどが提供されているので、やりたい人がやれる環境を整えるのがGoogleの役目となっていると思います。
私の思う次善の理想的な対応は、GoogleがReaderのソースを公開して、だれかが何かしらのビジネスモデル(課金モデル)でもってそれをApp Engine上に移植した物を、Googleアカウントを使ってOpenIDで利用できる様になる、あたりが妥当なラインだと思います。
また最初にあげたLifehackig.jpでは、言及が減ったことを廃れた証拠としてしていますが、一般に言及が減るのは廃れたか、もしくは「今更言及するまでもなく日常に普及・浸透したか」のどちらかです。そのどちらであるかは言及数だけ見ても判別できません。
下記は「インターネット」をGoogle Trendsで検索した結果です。インターネットは廃れたでしょうか?