2010/04/27

ソーシャルな機能、ソーシャルな責任

Buzzのコメント制御」にて、コメントを無効に出来ますとのご指摘をいただいたのですが、改めてみると、無効(追加コメントの停止)、削除、削除時にコメント投稿者をスパム報告、まで出来ます。

加えて、デフォルトの仕様として、自分の投稿に対してコメントがあるとアラートが受信箱に入ってきます。

あくまで規範論になりますが、2年前のこれらの事件と今年リリースされたバズの機能を鑑みると、「場の提供者はある程度の責任を取らなければいけない」という前提に基づいて、バズの投稿者(トピック作成者)に対して権限が委譲されているのではないかと思えてきます。

権利と責任は常に対なので、権限が委譲されているということは、責任も委譲されているということです。今後、同様の事件が起きた場合、削除できるのにしなかったユーザ(トピック作成者)に対して、Googleが責任を求めてくる可能性もあるかもしれませんね。(直接の加害者の責任は、また別ですが)

上記英語のニュースでも、最近のユーザ生成コンテンツに関して今後の法整備がどうのという記述があります。確固たる論拠とできる判例がまだ無いのかと思いますが、思いつく自衛策は講じておきたい所です。

例えば、余り無いとは思いますが、バズにて自分の立てたトピックであまりにコメントが長くなったので、立て主がミュート(コメントが付いても知らせない)してしまった場合。そこで問題のあるコメントが長期間放置されたら、削除権限のある人が監視を怠ったと見なされるかもしれません。

この場合、ミュートではなく、(他でやってもらうように書き添えた上で)以降のコメントを停止する「無効」にすべき。などといった対応が妥当になるのでしょうか。単に無責任な対応はしない、という基本的な話ですが。

前掲の事件では「匿名で」中傷でき(る場を用意し)たという点も重要視されているようです。そう考えると、「Buzzのコメント制御」にて確認したGoogleリーダーの設定も、匿名性のコントロールとして、特定のユーザにのみコメントを許可する仕組みであり、「特定のユーザ」とは自分のコンタクト(連絡帳)を元にした対人関係を単位としています。

「自分のコンタクト」という事は、追加された時点で「自分の意思」が介在しているので、少なからず「自分の責任」が発生しているとも取れます。

最近ではWebサービスではゲームでさえ、オフラインの人間関係を持ち込めるソーシャル機能が前面に押し出されている以上、「たかがゲーム」とも言っていられません。「ネット/オンライン」の対義語が「リアル」では無くなって来ると、ネット上でも「リアル」な責任が発生して来ると思います。

余り窮屈な空間にはなって欲しくありませんが、完全に呆けてもいられません。ソーシャルな機能をどれだけ採用して、どれだけ責任を取るか、どれだけ捨てて、どれだけ責任を放棄するか、責任の範囲を意識的に選択するという、当たり前と言えば当たり前の行為の重要度が増しています。

権限と責任のトレードオフという話し自体は、掲示板にしろブログのコメント欄にしろ昔からある話ですが、最近のソーシャル系のサービスではこれまでよりもずっと見えにくい裏方の連携が増えています。そういった点でも、機能やデータの連携・経路は、利用開始前に明示して欲しい所です。